先日、新居が欲しい若い30代前半の夫婦から設計の相談を受けました。その会話の中で、特に印象深かった陰翳礼讃を今日は紹介します。谷崎潤一郎の1930年代に書かれた随筆で、戦後世界中に翻訳されたとても有名な評論です。私は20代にこれを読みましたが、そんなもんかと感じた程度で本当に理解したのはずっと後の30代で海外に出てからでした。
日本人と西洋人の光に対する感覚は、真逆と言っていい程違うと思います。私がそのことを意識たのは、通りに面するレストランで歩道にはみ出したテーブルでサングラスをかけながら食事をする人を見て、あそこに座りたがる日本人いるかな?と感じたのが始まりでした。

例えば、ルイスカーンのイエール大学英国美術研究センターはトップライトだけで光を導入していますが、初めてその空間に入った時、これは絶対に自分には出来ないなと強烈な印象を覚えています。
上から降り注ぐ密度の高い光をカーンはこの建築で表現しています。一方、陰翳礼讃は、数寄屋の薄暗い室内の中で繊細な光と影を知覚させようとしてます。
印象派の絵画は光に満ち溢れた風景の描写が特徴ですが、陰翳礼讃では闇中の平面的な絵に奥行きを想像させる表現こそが日本の美だと伝えています。
天から降り注ぐ垂直的な光に対して、巧みに反射させ水平に置き換えられた光、具象と抽象と言ったほうが分かり易いのかもしれません。
どちらがすんなり受け入れられるのか、DNAに刷り込まれたアイデンティティの領域の話だと私は捉えています。そのようなことを知覚した時、私は日本人の美意識の高さを知ると同時に、初めて日本を誇りに感じるのでした。
若い人から陰翳礼讃のような趣と話題を振られ、おぉ!何てセンスが良いんだと嬉しくなりましたが、後でよく考えたら、すごくハードル高いですね。。頑張ってみようと思います。
追伸、久しぶりにこの本を読もうとアマゾンでポチっとしましたが、届いたのはビジュアル付きの本でした。大学の講義でも何度も登場するこの本ですが、今から読まれる人にはビジュアル無しの随筆集が私は良いと思います。理解度のハードルは少々高くなりますが、空想で想い描く光と陰の世界はビジュアルを見ない方が断然に豊かでお勧めです。

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