Goodbye David Bowie

ブログではマニア話は控えてきましたが、今日は少しだけ話そうと思います。何故ならデビット・ボウイが亡くなってしまったからです。
20代の頃、私は彼のファンでした。偶然にも友人に彼のファンが多いことから私もその受け売りでその世界に踏み入れたわけですが、それまで全く知らなかったわけでもなく、リアルタイムでは中高校生時代、スケアリー・モンスターズ、レッツ・ダンスが発売され、そこそこ耳に入ってきていたので流行の洋楽として受け入れていました。ですが、何故にその後魅了されたのかというと、リアルタイム以前に出された作品70年代の彼の音楽は全く別世界だったからです。ハンキー・ドリー、ジギー・スターダスト、アラジン・セインの三部作に始まり、その後のダイアモンド・ドッグス、ヤング・アメリカン、そしてベルリン三部作、それぞれの時代全てが一人のアーチストの作品とは信じ難く、それぞれ別世界を展開していたからです。
クリエイターとして何故そこまでに過去の作品を捨てられるのか?それが不思議でなりませんでした。(一発当てれば、その後悠々自適に暮らして行けるだろうに・・)ジャズの巨匠マイルス・デイビスもそうですが、時代時代に別世界を展開するその様が当時の私の想像を遥か彼方に超えたものとして大きく存在していました。選択を迫られた時、何を優先すべきか、そこで何を学ぶべきか、たった一人で時代と対峙しながら常に自問自答する彼の生き様、それを知った以降彼の作品郡は一つのアートとして私のバイブルになり指針となりました。(ミュージシャンじゃありませんが、汗)
何を隠そう私のデビュー作、Aladdin Saneは彼のアルバム、アラジン・セインのジャケットから取りました。知っている人にはルーツが分かり易いタイトルですね。当時何も深く考えず、屋根の形状がアルバムジャケットの赤い稲妻模様にとても似ていたので(切れ込みの方向まで!興味を持った方ググって下さい。)衝動的に決めてしまいました。そして後でとてもとても後悔することになるのです。というのも、その作品は予想外にも愛知県住宅賞の名古屋市長賞に選ばれ名古屋中区役所ホールにて表彰されることになりました。賞状を頂く際に壇上で “Aladdin Saneは住宅賞に相応しい作品でゆとりある住生活の実現を目標とする名古屋市住宅行政の推進に寄与するものである・・”とアナウンスされ、何て場違いなタイトルなんだろう!と思い熱くなるほど恥かしい思いをしました。(笑)それ以降二度とこんなタイトルにしない!と心に誓いました。知らない人にはヘンなタイトル?くらいにしか思われなかったでしょうね。
どうして彼の作風が好みなのか、自分の名前で作品を発表するようになった今初めて理解しました。前作との直接的な関連性を絶つ習性は、私自身にもともとあったのではないかということに気づきました。建築設計は、自邸じゃない限り自分の為に行うのではなく、クライアントの為に行います。前作と同じ手法では失礼だとどうしても思ってしまいます。クライアント固有の個性を最大限引き出そうと思えば思うほど前作とはかけ離れます。当たり前ですね。もし、私の作品を好きで依頼が来ても、要望される内容は別です。それを色濃く反映しようとすればするほど全く別の作品が生まれます。デビッド・ボウイを例に挙げるのはおこがましい限りですが、彼の作風と同様、私の作品は一定の美意識だけで作ることなく、それぞれ固有の内容になっています。というかなってしまうのです。何故なら、ルーティンではなく毎回フレッシュで新しい題材にトライしながら仕事をすることがそもそも好きだからです。
当時は本当に好きで毎日というほど聴いていましたが、やがて聴かなくなってしまいました。偶に懐かしくなり聴いたりしていましたが、1月11日、突然の訃報を聞きとても悲しくなりました。facebookやtwitterで多くの人が追悼を唱えていましたが(皆好きだったんですね)、時代が過ぎる瞬間はこんな雰囲気なのかとしみじみと感じました。
1990年頃のサウンド・アンド・ビジョンのツアーで東京ドームのアリーナ席10列目で見たこと、その数年後名古屋でも見たことを思い出しています。また、彼の作品はレコードで今でも多くを持っていますが、特にジギー・スターダストは日本版1972年製オリジナルを持っています。これらはこの先ずっと私のバイブルとして持ち続けるに違いありません。有難う、デビッド・ボウイ。
追伸、先日行った本屋でレコード・コレクターズを発見!!マニア向け音楽雑誌です。タイトルに惹かれ久しぶりに買ってしまいましたが、やっぱ書かないとなぁと感じた次第であります。(新建築住宅特集も買いましたよ。汗)
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