何がオリジナルと言えるのか?
巷を騒がしている東京五輪のエンブレム問題。デザイナーの言い分、世間の意見が乖離し過ぎてとうとう撤回してしまいました。デザイナーの製作プロセス如何に関わらず、あれだけの騒ぎを収めるのはリスタートするしかないように見えますが、他のデザインをまた発表するだけで良いのか??果たしてそれだけで本当に良いのか??と考えてしまいます。
関係者も私達の知る有名デザイナーや立派な権威ばかり、そのような面々が良いと判断して決めたものと世間一般の意見がこの様に大きく乖離してしまったことが問題の本質で、デザイナー一人の責任追求よりももっと考えなければならないことがあると私は思います。デザイナーのデザインが似ている似ていないの論議よりも、デザインのオリジナリティとは何か?を再考すべきだと思います。オリジナルとは独創性のことを示します。日本で開催されるオリンピックの表象として日本人が独自に示そうとするもの、それが今回のエンブレムに求められた本質で、その本質を今一度考えるべきなのだと考えます。
前回1964年のエンブレム、日の丸を象徴的に配した亀倉雄策さんのデザインは、単に日本の伝統美を表すだけでなく、敗戦後見事に立ち直った日本人の誇りを見事に表現しています。それでは、現代日本の誇りを示すエンブレムは何か??ダイレクトな言い方ですが、そんなデザインが求められてるのだと思います。
話は変わりますが、ニュージーランドが国旗を変えようとしています。オーストラリアと似ていることから今の首相が提案したそうです。色々なアイデアが出ているようですが、ユニオンジャックは無し、またオールブラックスで有名なシダをあしらったデザインも候補に出ているようです。現在のニュージーランド人が、美徳の表象としてエンブレムとして選ぶのです。
もう一度話を戻しますが、似ている似ていないの議論よりも、今ある日本のアイデンティティを認識しそれを実直にデザインすべきなのではないのでしょうか。もし、今度のエンブレムが現代の日本人の美意識を真に表現できれば他国のデザインと類似することも無いでしょうし、それどころか日本人の誇りをも表すことが出来るのではないでしょうか。そのような中から生まれたデザインは日本らしさにあふれたもので、誰が見てもオリジナルとして認識されるものになると思います。
似ている似ていないのネガティブ思考から生まれたデザインよりも、前向き姿勢のデザインのほうがきっと良いですよね。
亀倉雄策さんは1964年の五輪エンブレムを私と同年の頃デザインされたそうです。
今の私にそんな極太のデザインが出来るのだろうか??勿論建築ですが。。