過去ブログ3連投です。
デルタブルース Delta Blues 2015,1,23
私の前世はアメリカ人じゃなか?と思うくらい(笑)古いアメリカの音楽がグッときます。
なので私は偶にブルースを聞いたりします。特に古い南部のデルタブルースは音楽を楽しむと言うよりも、その時代のドキュメンタリーを確かめる感じ、音楽を聞くというよりも確かめる感覚がとても楽しいんです。
デルタブルースとは、1900年頃ミシシッピ川の下流の三角洲周辺に綿などのプランテーション農業が盛んで、そこの奴隷達から栄えたブルースのことで、その頃吹き込まれた音源が今でも聞けます。その後、戦争が経てシカゴにステージが移ります。シカゴは商的にも成功し全世界に広まります。一般的に、戦前ブルースが南のデルタ、戦後は北のシカゴと分類されています。シカゴブルースだとマディ・ウォータースは今でも偶に聞きますが、他はあまり聞いていません。以前はそんな分け隔てもせずブルースを聞いていましたが、商的にヒットしたシカゴよりも私にとってデルタが楽しいですね。例えば戦前デルタで活躍していたブラインド・レモン・ジェファーソンは、盲目で、戦後行方不明になって、乞食になっていたところプロモーターに発見されて、シカゴに連れられてしばらく演奏して、酔って道端で寝てしまい、凍死。。凍死ですよ!考えられますか?勿論、音も良いんです、ギターが上手くって、ちょっとユニークで。そんな人の音源を聞くとその時代と一緒に臨場感として伝わってグッとくるわけです。そのあたりが、前世はアメリカ人なんですね。しかも南部だと思います。(笑)
ごめんなさい!もう少しマジメに話します。汗
ところでチャーリー・パットンという人は、デルタブルースの父と呼ばれています。でも、チャーリーにギターを教えたのはヘンリー・スローンという人だと記録が残っています。だったら何故ヘンリー・スローンを父と呼ばないのか?という疑問が残ります。そう思いません?以前から私はとても疑問でした。
最古のブルースは1920年頃の音源がアメリカの国会図書館に残っていますが、残念ながらヘンリー・スローンの音源はないみたいです。そもそも録音してなかったのだと思います。
じゃあ、何故チャーリー・パットンが父なのか?ヘンリー・スローンじゃないのか?
それは記録の有無だと思います。ヘンリー・スローンの人物像は語り草としては残っているが、音源記録として残っていないものは音楽として確かめようが無いということです。だからヘンリーには残念ですが、チャーリーが父と呼ばれるわけです。
現在我々はCDから音楽を聴いていますが、昔はレコードでした。
英語のRecord(レコード)を直訳すると記録。その昔、音楽が聴ける円盤のことを“レコード”と名付けられたのも妙に納得ですな。
デルタブルース、興味がでましたらYouTubeで聞いてみて下さい。
We call Charley Patton is the father of blues. However it was say that Henley Sloan instructed blues guitar to Charley. Why we call charley is father?? Don’t you think that?
Library of congress in Washington D.C still remain Charley’s recording but no Henley’s recording. I think that we can listen to Charley’s sound but can’t listen to Henley’s sound. Thus we call charley is father.
Now we can listen to the music by CD, in old time, by Record.
I understood curiously that we used to call Black disk was record.