時間の経過

皆さん、お盆のお休みはどうお過ごしでしたか?夜は少し涼しくなってきましたね。私のお盆休みは、実家の近くで墓参りやら同窓会やらで慌しく済んでしまいました。今は引き続き図面や現場で慌しく始まってしまっています。(休んだ感覚がない、涙)そんな慌しい中でもこのお盆は、気温の変化だけでなく時間の経過も少しは感じたように思います。


先祖のお墓に向き合った時昔を思い出すこともありますが、私の場合は心を無にする場所としてお墓に向き合います。この場合、人とも会わなければ会話することもない時間を過ごしているわけですが、時間を感じるというよりかは個人でその瞬間を生きているような感覚です。片や時間を感じる瞬間や期間はどのようなものか?というと、それは変化を見たり感じたりする時、また感じてしまう時ではないでしょうか。
例えば、暑い日が続いてそれが涼しくなってきた時には、季節の移り変りを感じますよね。それは時を得ていることになります。同窓会で旧友に会いあまりにも風貌が変わっていた時には(失礼)お互い年を取ったな~という話題になります。笑 そんな時には昔を思い出し、その時から今までの時間を感じることになります。単にそれはエイジングと表現するにはしつくせない実に奥行きのある時間を感じていることになります。(同級生の皆さん有難う!!)
アリストテレスは、もし何も変化が起きなければ、われわれは時間が経過しているかどうか分からないであろう、時間は出来事そのものではないとしても出来事の一つの様相である、とまで言っています。やはり変化は時間を表するための重要ファクターだということですね。
さて、今日も取り留めの無いことを書いてしまっていますが(笑)、建築は空間を主とする範疇で存在しますが、私は時間も同じように重要だと感じています。その瞬間をエイジングという言葉で表現するのではなく、様々な変化を許容しながら人に追従する、時を感じられる空間を実現できれば有意義なのではないかと考えます。日本に四季折々の風情を感じられる、気分に応じて模様替えをする、家族構成の変化に増減築する、何か気に入った家具を見つけたら置いてみるなどなど。シンプルに人の気分(チープでも良い)にもっともっと追従できたほうが、幸せになれるんじゃないかと思っています。
こんなことを言っている理由は、きっとバタバタしたたお盆休みでスルーしたせいで、逆に慌しく時間が過ぎることを拒みたかったんだと思います。笑 暑い中、何も涼しくならない話でゴメンなさい。

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