先日同業者のオープンハウスに行って来ました。mA-styleの川本さん、昨年の建築賞で知り合いになり案内を頂いたので静岡まで足を運びました。というのも川本さん、夫婦デュオで活動なさっていますが、かなりの有名人です。あまり他の人の設計を見るという機会はなかったのでとても新鮮でした。作品のクォリティが高いのは言うまでもありませんが、熟練からくる潔さが際立ってました。本当に良かったです。(川本さん、有難う!!)
その後、近くの最近竣工した某体育館を見学してきました。大型木造体育館ですが、これが何とも・・・。色々なことを考えてしまいました。その昔私が前職(厳密には前々職)で静岡県立短期大学の体育館を担当したのですが、それを思い出しました。実施設計開始当初木造の梁を採用していたのですが、それが完了して見積もりに掛けたのですが金額が合わず。で減額案で泣く泣く鉄骨に変えました。そのエピソードは今でも忘れません。何故かいうと最終的には鉄骨で良かったと思えたからです。当初の木造案は梁せい(梁の断面高さ)が1100mmでした。その後の鉄骨はなんと350mm!! 三分の一以下です。(その寸法だけは20年経っても忘れません)建築の合理性は単なるコストダウンに留まらず、シンプルで簡素にデザインしたほうが美しい場合が多いのです。住宅であろうが、体育館であろうが、ましてや家具やその他デザインも同様でこの関係性は変わらないと私は考えています。
ただ、この体育館の批評はここでは避けたいと思います。もし、木を使う理由が建築範疇を超えて社会的な意味合いがその合理性を超えているのであれば、それはそれで私は賛成だからです。大型建築であればあるほど、俯瞰して見る必要があり、美しい建築の納まりやディテールを通り越して地域や社会に貢献したほうが意義があると思うからです。(両方兼ね備えているのが良いことは言うまでもありませんが)この考え方は建築家それぞれフォーカスするところの違いで様々だと思うので何が正解で不正解はありません。
そんなことこんなこと、一人で悶々と考えながら静岡から帰ってきました。