Architect

Architect

伴 尚憲 

株式会社bandesign 代表取締役
一級建築士 登録番号 第299666号
愛知工業大学非常勤講師

Hisanori Ban

bandesign Principal architect
Aiti Institute of Technology Lecturer
Hisanori Ban

Media

  • NHK Eテレ Design Talks Plus
  • 東海テレビ Style Plus 
  • 日本テレビ スッキリ
  • Wired ドイツ版掲載他

Career

2013株式会社 bandesign 法人化
2007バンデザイン一級建士事務所を開設
2006Westforth Architecture New York
2004渡米
1992 – 2004日建設計名古屋
1992東海大学工学部建築学科卒業
2013bandesign incorporated
2007Started bandesign
2006WestForth Architecture NewYork
2004abroad to the U.S
1992 – 2004Nikken Sekkei Ltd.
1992graduated Tokai university department of architecture

background

2006UTIブカレスト本社ビル事務所 9,000㎡
2000 – 2002愛知大学車道校舎学校 17,000㎡
2000 – 2002日本経済新聞名古屋支社事務所 7,200㎡
1998 – 2001三井住友銀行名古屋ビル事務所, 店舗 30,000㎡
1998 – 2001名古屋空港国際線新ターミナルビル空港 60,000㎡
1995静岡短期大学学校 22,400㎡
1995岐阜県古川町交流ターミナル宿泊施設 2,300㎡
1993福井県国際交流会館迎賓館, ホール 6,600㎡
1992大野町総合町民ターミナル図書館, ホール 8,500㎡
2006UTI Head Quarter BucharestOffice 9,000㎡
2000 – 2002Aichi University KurumamichiSchool 17,000㎡
2000 – 2002Japan Economical Newspaper Nagoya BranchOffice 7,200㎡
1998 – 2001Sumitomo Mitui Bank Nagoya OfficeOffice, Retail 30,000㎡
1998 – 2001Nagoya International Airport Terminal BuildingAirport 60,000㎡
1995Shizuoka Junior CollegeSchool 22,400㎡
1995Furukawa Terminal HotelHotel 2,300㎡
1993Fukui International Assembly HallCommunity Center 6,600㎡
1992Ohno Town Community CenterLibrary, Hall 8,500㎡

Manifest

建築家、伴 尚憲。妻と息子2人の4人家族。見た目よりも話し易いと言われます。施主様の立場を理解し解決に向けて努力したいと思っています。
趣味は、アート、音楽、そしてデザイン。アートは印象派以降、特にモダンアート。音楽はロック、フォーク、ブルース、ソウル、ジャズ、ヒップホップ、全般的に聞きます。レコード、CDのコレクションは4000枚程あります。デザインと名が付くものはどんなジャンルでも興味があります。
影響を受けた人物は、アンディ・ウォーホル 安藤忠雄 イオ・ミン・ペイ ヴァン・ゴッホ エットレ・ソットサス オスカー・ニーマイア クロード・モネ ジャン・コクトー ジャン・ジュネ ジャン・ポール・サルトル ジョルジェット・ジウジアーロ ジョン・レノン スタンリー・キューブリック スティーブ・ジョブズ 丹下健三 チェ・ゲバラ デヴッド・ボウィ パブロ・ピカソ 林昌二 フランクロイド・ライト フランシス・コッポラ フリードリヒ・ニーチェ ボブ・マーリー マイルス・ディビス マルセル・デュシャン ミケーレ・デルッキ ミック・ジャガー ミース・ファンデル・ローエ ルイス・カーン ルー・リード。 

biography

大学卒業後、日建設計に12年勤めました。20代から30代半ばまで、建築の全てと言ってもいいくらいの礎をその場所で築きました。日建設計は当時2000人が在籍する世界最大の建築設計事務所で現在は3000人にまでも成長している著名な会社です。実は私の父も同じ日建設計出身で建築家です。残念にも50代で病気で亡くなりましたが、その後運命のように導かれて私も同じ場所で働くことになります。日建設計はたくさんの人がチームワークで建築を実現する会社なので、自分一人だけの責任で仕事ができる環境はありません。日建設計がどれだけ良い事務所でも、独自で建築が作れる環境を私は選びました。そして34歳の時アメリカに留学。アメリカ生活は3年で最後の1年はNYCの設計事務所で働きました。帰国後独立し、bandesignを設立しました。私が子供の頃、車、バイク、自転車、その他工業デザイン、子供が手にすることが出来る文房具まで無類のデザイン好きでした。その頃の通産省が主催するグッドデザイン賞の存在を知り、自分もいつかは獲りたいと思うようになりました。自作の三作品目で受賞しましたが、30年来の感激は未だ心に残っています。
1970年代スーパーカーブームが到来、デザインへの世界への誘いは実のところ車からでした。当時ジョルジェット・ジュージアーロが提唱していた人間工学(エルゴノミクス)といった発想は今でも影響を受けていて、私がバリアフリーやユニバーサルデザインを重んじるのも原点はカーデザイナーからでした。アメリカに留学して、ユニバーサルデザインの権威、ニューヨーク州立大学のEdward Staifeld教授から、人に選択肢を与えるデザインを教わりました。デザイナーは、一方的に自己の美学を押し付けるのではなく、使用者に自由に選択肢を与えることが使命である。そんなことを学びました。公民権運動が盛んな歴史を持つアメリカならではの発想です。私の作品に様々な作風があるのは、それら影響を少なからず受けています。人一人同じ人間は存在せず、クライアントも様々。相手の立場になって親身に耳を傾ければ、そこから出来上がる建築は様々なると考えます。本当に価値のあるデザインとはそんな状況の中で作られるのではないだろうか。そう思いながら建築を作り続けています。